10. What is temptation but the wish to stay in hell and misery?
- temptation [temptéiʃən] : 「誘惑、衝動、誘惑物」
- wish [wíʃ] : 「願い、望みの物、願望、希望」
- stay [stéi] : 「滞在する、留まる」
- hell [hél] : 「地獄、生き地獄」
- misery [mízəri] : 「悲惨、不幸、苦痛、惨めさ、窮状」
❖ "What is temptation ~ "「誘惑とは、地獄と惨めさに留まろうと願うことでなくて、いったい何だろう」。誘惑で一番強烈なのは、この幻想世界に留まって、幻想の中に埋没して生きることである。苦も痛みも、あたかも見慣れた風景となり、親しみさえ感じて手放そうとしない。実相的自己変革は恐ろしく思え、そんな急流に飲み込まれるくらいなら、だらだらと地獄の中で生きた方が安全だと思う。金を貯め、高価な物に囲まれて、家族と和気あいあいと暮らし、それなりの地位を得て他者から尊敬され、老後は海外旅行と高級ワインで時を楽しむ。少々寂しく孤独であり、活発に生きている実感がなくても、それが何だと言うのだろう。あるいは、他者を憎み、怒り、攻撃することは、ある意味で生きる活力だと思い、少々の心の痛みや苦は、むしろ好ましいとさえ思う。また、あるいは、絶望の人生は天が自分に与えた宿命だと諦めて、諦観の中に自己を埋没させて細々と生きる。屍(しかばね)として生きることが一番安全だと信じる。で、来世にラッキーな人生を期待するのだ。
And what could this give rise to but an image of yourself that can be miserable, and remain in hell and torment?
- give rise to : 「〜を引き起こす、〜を生じさせる」
- image [ímidʒ] : 「画像、像、映像、印象、心象」
- miserable [mízərəbl] : 「惨めな、わずかな、悲惨な、不幸な、哀れな」
- remain [riméin] : 「とどまる、残る、滞在する」
- torment [tɔːrmént] : 「苦痛、苦悩、拷問」
❖ "And what could this ~ "「こんな誘惑が、悲惨になり得るあなた自身のイメージを生み出し、地獄と苦悶に留め置こうとする以外に、いったい何を生み出すだろうか」。想念や思いは、必ず現実化する。この幻想世界は、あなたの心が生み出した幻想である。悲惨と苦悶を受け入れたなら、あなたの世界は悲惨と苦悶になるのだ。あなたの心が地獄を生み出すのである。
Who has learned to see his brother not as this has saved himself, and thus is he a savior to the rest.
- learn [lə́ːrn] : 「〜を学ぶ、〜であると分かる」
- save [séiv] : 「救う、助ける」
- thus [ðʌ́s] : 「それ故に、従って、このようにして」
- savior [séiviər] : 「救い手、救済者、救い主」
- rest [rést] : 「残り、その他、残った人たち、残りの部分」
❖ "Who has learned ~ "「同胞を、こんな(悲惨な)イメージとしてではなく見ることを学んだ者は、(それによって)自分自身を救ったことになり、」"and thus is he ~ "「したがって、他の者達の救い主となるのだ」。人間は、地獄の底にうごめくウジ虫などではないと達観出来た者、あるいは、実相的なヴィジョンをもって人間は神聖な神の子であると知った者は、自らキリストとなって自分自身を地獄から救い出し、他の多くの同胞を地獄から救い出せるのだ。
To everyone has God entrusted all, because a partial savior would be one who is but partly saved.
- entrust [intrʌ́st] : 「任せる、委ねる、委任する、委託する」
- partial [pάːrʃəl] : 「部分的な、一部の、一部分の、不完全な、不公平な」
- partly [pάːrtli] : 「一部分は、ある程度は、部分的に、一部は」
❖ "To everyone has ~ "「あらゆる人達に、神は、(救いの)すべてを任せた」。あなたも同胞も、共にキリストとなって、互いに互いを地獄の幻想世界から救い出す仕事を、神はすべての人間に任せた。愛をもって強く願ったのだ。そうでなかったら、どうして神は、あなたの心の中にホーリー・スピリットを使者として遣わしただろうか? "because a partial ~ "意訳する、「なぜなら、一部の者だけが救い主であったら、一部の者しか救われないからだ」。この世界で分離分裂した神の子ではあるが、本来は単一の存在である。分裂した一部の者だけが救われただけでは意味がないのだ。したがって、蛇足になるが、〜を信じた者だけが、神に救われて天国に昇れるなどとうそぶく宗教は真っ赤な似非宗教である。騙されてはいけない。エゴの教える宗教だ。
The holy ones whom God has given you to save are but everyone you meet or look upon, not knowing who they are; all those you saw an instant and forgot, and those you knew a long while since, and those you will yet meet; the unremembered and the not yet born.
- holy [hóuli] : 「神聖な、聖なる」
- given [ɡívən] : 「giveの過去分詞形」
- meet [míːt] : 「〜に会う、〜と会合する、〜と接触する」
- look upon: 「〜を見る」
- instant [ínstənt] : 「瞬間、一瞬」
- forgot [fərɡάt] : 「forgetの過去・過去分詞形」
- long while : 「久しく、長い間」
- since [síns] : 「その後、それ以来」
- unremembered [ʌnrimémbərd]: 「記憶されていない、想起不能の」
- born [bɔ́ːrn] : 「生まれる、誕生する、産声を上げる」
❖ "The holy ones whom ~ "「あなたを救うために神があなたに与えた神聖なホーリー・スピリットは、あなたが出会う人達、誰かは知らなくても目にするすべての人達に過ぎないのだ」。神は、神の子の心の最も純粋で神聖な部分にホーリー・スピリットを遣わした。あなたと、心の中のホーリー・スピリットは不可分であり、同体なのだ。また、この幻想世界で分離しているかに見える多数の神の子は、実相的には単一の存在である。自他一如、多即一、なのだ。だから、当然、あなたが毎日出会い、目にする多数の人達は、あなたと同体の神の子であり、ホーリー・スピリットを心にもった、あるいはホーリー・スピリットと同体の存在なのである。"all those you ~ "「あなたは、その人達と一瞬出会い、そして忘れてしまった(かも知れない)」。"and those you ~ "「あるいは、出会って以来、ずっと知っている人達である(かも知れない)」。"and those you ~ "「あるいは、あなたがまだ出会っていない人達である(かも知れない)」。"the unremembered ~ "「記憶にない人達かも知れないし、まだ生まれて来ない人達かも知れない」。仏教では、袖触れ合うも他生の縁と言うが、あなたが出会った人達、あるいは出会う運命にある人達は、あなたと同様の神の子であり、ホーリー・スピリットであり、幻想から救い出すキリストであるのだ。もちろん、あなたと同体なのだ。他人などではない。袖触れ合うは縁も縁、あなた自身なのだから。
For God has given you His Son to save from every concept that he ever held.
- concept [kάnsept] : 「概念、観念」
- held [héld] : 「holdの過去形」
- hold [hóuld] : 「心に抱く、保持する、持続する」
❖ "For God has given ~ "「なぜなら、神は、それまで抱いてきたあらゆる概念から救い出すために、神の子であるキリスト(ホーリー・スピリット)をあなたに与えたからだ」。ここで、"every concept that he ever held"とあって、あたかもキリストが抱いた概念を言っているように聞こえるが、キリストと同体であるあなたが抱いた自己概念のことである。神の子とキリストとホーリー・スピリットが渾然一体となって、こような表現になっていると思っていい。したがって、"given you His Son"という部分も、神の子をあなたに与えたとも読めるのだが、明らかに"His Son"はキリストのことであり、ホーリー・スピリットのことである。いずれ、あなたが抱き続けてきたあやゆる概念とは、この幻想世界に生きていて抱き続けてきた苦や痛みや恐れや罪や、そして、分離した肉体的存在だと信じていた自己概念のことであり、そのすべての思いから実相的な真実へと救い出すために、神はキリストをあなたに与えたのだ。しかも、そのキリストはあなた自身であり、あなたが毎日出会う同胞であり、未来の同胞でもあるのだ。
11. Yet while you wish to stay in hell, how could you be the savior of the Son of God?
- while [hwáil] : 「〜の間ずっと、〜する間に、その間に」
- wish [wíʃ] : 「望む、祈る」
❖ "Yet while you wish ~ "「しかし、あなたが地獄に留まっていたいと願う間は、」"how could you ~ "「あなたは、どうして、神の子の救い主になれるだろうか」。ここは解説不要。
For holiness is seen through holy eyes that look upon the innocence within, and thus expect to see it everywhere.
- holiness [hóulinis] : 「神聖、高潔」
- seen [síːn] : 「seeの過去分詞形」
- through [θrúː] : 「〜を通じて、〜の手を経て、〜を介して」
- innocence [ínəsəns] : 「無罪、潔白、無邪気、無垢、純潔」
- within [wiðín] : 「内部で、内側は」
- expect [ikspékt] : 「予期する、期待する」
- everywhere [évrihwèər] : 「どこでも、どこにも」
❖ "For holiness is ~ "「なぜなら、神聖さというものは、心の内側の潔白さを見抜く神聖な目を通してだけ見ることが出来るからだ」。無辜(むこ)であることと神聖であることは同義語である。同時に、無辜である心が神聖さを感じ取り、神聖な心が無辜を知るのだ。他者が醜く見えるようでは、あなたの心は神聖だとは言いがたい。"and thus expect ~ "「したがって、神聖さは、あらゆる所に、潔白さを見たいと期待する」。だから、あなたが神聖であれば、周りのみんなが潔白な神の子に見えてくるはずなのだ。ところで、自分は悪いことをした経験があるから、どんなに頑張ってもその事実は消しようもなく、決して心は潔白だとは言えない、と思っている人もいるだろう。それは、完全に誤りである。この幻想世界でどんなに悪いことをしたとしても、それは夢の中の出来事であって、神の子の実相的な心が、そんな幻想の罪で汚れる分けがないのだ。
And so they call it forth in everyone they look upon, that he may be what they expect of him.
- call forth [fɔ́ːrθ] : 「〜を生じさせる〜を引き出す、〜を発揮させる、呼び起こす」
❖ "And so they call it ~ "「そうして、潔白さを見抜く目は、見る者すべてに神聖さを呼び起こす」。"that he may ~ "「その結果、すべての人が、期待した通りの者になるだろう」。いわば、神聖さや無辜性は同一の真実として分かち合われ、共鳴し、伝播していくものなのだ。罪の意識や憎しみが、誰か一人に集中し、その一点だけを焼け尽くすのと正反対である。
This is the savior's vision; that he see his innocence in all he looks upon, and see his own salvation everywhere.
- vision [víʒən] : 「視覚、視力、洞察力、想像力、展望、構想」
- salvation [sælvéiʃən] : 「救出、救済、救い、救世」
❖ "This is the savior's ~ "「これが、救い主のヴィジョンである」。これが、キリストのものの見方、実相的なヴィジョンである。"that he see his innocence ~ "「すなわち、救い主は、自分の無辜性を、目にする者すべての心の中に見るのである」。"and see his own ~ "「そして、自分自身の救いをあらゆる場所に見出すのだ」。キリストとなったあなたは、自分の心の中の神聖な目をもって同胞を見、そこに神聖な無辜性を発見する。そのとき、同胞はキリストとなって、あなたを救い出してくれるのだ。あなたと同胞は一体なのである。救いは一方的なものではない。分かち合って拡張増大させるものなのだ。なぜなら、それが真実のもつ法則だからだ。神の法である。ところで、蛇足になるが、ACIMは、救いに関して、ホーリー・スピリットに絶対他力せよ、と教えている。これは、矛盾した教えであろうか? いや、そうではないのだ。実は、実相世界のヴィジョンに照らしてみれば、絶対他力も絶対自力も、同一なのである。当たり前のことである。自も他も存在しない真実の世界に、他力と自力の区別があるはずがない。あなたが、心の中のホーリー・スピリットに救いを絶対他力した時、あなたは自分で自分を救うことになり、他者をも救うのである。他者を救う時、あなたは他力によって同胞から救われるのだ。両手を打った時、はたして音はどちらの手のひらから生じるか? 禅の世界に、そんな公案があったような・・・。
He holds no concept of himself between his calm and open eyes and what he sees.
- between [bitwíːn] A and B : 「AとBとの間に」
- calm [kάːm] : 「穏やかな、静かな」
❖ "He holds no concept ~ "「救い主は、静かに見開いた目と彼が見るものの間に、彼自身の自己概念を保持することはない」。実相的なヴィジョンで見るとき、幻想のベールや黒雲は、その邪魔をすることはない。幻想の自己概念が、視力を奪うことも、視界を歪ませることもない。なぜなら、幻想のベールや黒雲も、幻想の自己概念も消滅してしまったからだ。心静かに、真実を目撃するだけなのだ。これがヴィジョンである。
He brings the light to what he looks upon, that he may see it as it really is.
- bring [bríŋ] : 「〜を持って来る、〜をもたらす」
- light [láit] : 「光、ライト、明かり」
- really [ríəli] : 「実際には、ほんとうは、確かに、本当に、真に」
❖ "He brings the light ~ "「救い主(キリスト)は、見るものに(実相の)光を当てる」。真実の光を当てて、ヴィジョンでものを見るということ。"that he may see ~ "「そのものを、ありのままに見るためである」。真実を真実のままに見るために、善悪や美醜の判断もなく、ただひたすら心を静めて、ありもままを見るのだ。禅における達観である。