●  "A Course in Miracles (ACIM)""Text" (1975年版) の英語原文を、単に翻訳するだけでなく、精読、精解していくワークショップです。
●  Title に、たとえば T-26.IV.4:7 とありましたら、これは "Text" の Chapter 26、Section IV、Paragraph 4、Sentence 7 という場所を示しています。
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T-22.III.3:1 ~ T-22.III.4:7

3. Reason is not salvation in itself, but it makes way for peace and brings you to a state of mind in which salvation can be given you.

  • reason [ríːzn] : 「理性、理知、良識、分別、正」
  • salvation[sælvéiʃən] : 「救出、救済、救い、救世」
  • in itself : 「それ自体では、本質的に」
  • make way for : 「〜に道を譲る」
  • peace [píːs] : 「平和、安らぎ、平穏、安心、安定」
  • bring [bríŋ] : 「〜を連れて行く、〜を持って来る、〜をもたらす」
  • state [stéit] : 「状態、形勢、情勢、状況」
  • given [gívn] : 「give の過去分詞形」
❖ "Reason is not ~ "「正気さは、それ自体が救いであるわけではない」。"but it makes way ~ "「しかし、正気さは、平和への道を開き、救いがあなたに与えられ得る心の状態を、あなたにもたらすのだ」。あなたの心の最も純粋で神聖な部分に住む正気さは、実相へ接するための要(かなめ)の役割を果たす。真実を見ることの出来るヴィジョンをもたらすのも正気さだ。幻想を幻想と認識出来るのも、正気さのおかげである。あなたに罪の意識からの救いをもたらし、心の平和へ導いてくれる原動力となるものも正気さである。正気さの先に、実相への道が開けるのだ。



Sin is a block, set like a heavy gate, locked and without a key, across the road to peace.
  • sin [sín] : 「罪、罪悪、ばかげたこと、過失、罪業」
  • block [blάk] : 「障害物、妨害物」
  • set [sét] : 「整える、定める、配置する、設定する」
  • heavy [hévi] : 「重い、激しい、重みのある」
  • gate [géit] : 「入り口、門扉、ゲート、門」
  • lock [lɑ́k] : 「〜に錠を掛ける、〜を閉じ込める」
  • without [wiðáut] : 「〜なしで、〜を持たないで、〜なしに」
  • key [kíː] : 「鍵、キー」
  • across [əkrɑ́s] : 「〜を横切って、〜を横断して、交差して」
  • road [róud] : 「道、主要道路、道路、車道」
❖ "Sin is a block, set ~ "「罪の意識は、平和への道を遮る障害物である」。"set like a heavy ~ "意訳する、「重い扉のようにセットされ、鍵をかけられているが、その鍵は失われている」。正気さが、まず対峙しなければならないのが、この罪の意識という幻想である。これが、平和への道を塞(ふさ)いでいるのだ。



No one who looks on it without the help of reason would try to pass it.
  • look on : 「〜を見る」
  • help [hélp] : 「助力、助け、援助、支援、力添え」
  • try [trái] : 「試す、やってみる、試みる、企てる」
  • pass [pǽs] : 「〜を通る、通り越す、追い越す」
❖ "No one who looks on ~ "「正気さの助けなしに、重い扉を見ようとする者は誰でも、重い扉を通り抜けようと思うことはない」。重い扉が幻想だと気付かずに、その頑丈な扉を見れば、誰だって、扉を突破出来るなどと思うことはあるまい、ということ。しかし、正気さがあれば、その頑丈な扉は、実は幻想に過ぎないと見抜くことが出来るのだ。



The body's eyes behold it as solid granite, so thick it would be madness to attempt to pass it.
  • behold [bihóuld] : 「見守る、注視する」
  • solid [sɑ́ləd] : 「硬い、頑丈な、固体の、固形の」
  • granite [grǽnit] : 「花こう岩、御影石、堅固なもの」
  • thick [θík] : 「厚い、分厚い、太い」
  • madness [mǽdnəs] : 「狂気、熱狂、熱中」
  • attempt [ətémpt] : 「試みる、企てる」
❖ "The body's eyes ~ "「肉体の目は、その扉を硬い御影石で出来たものだと見る」。"so thick it ~ "「あまりに分厚いので、そこを突破しようとすることなど、狂気の沙汰だと思われるだろう」。



Yet reason sees through it easily, because it is an error. The form it takes cannot conceal its emptiness from reason's eyes.
  • see through : 「理解する、明察する、〜を見通す、〜を透かして見る、本質を見抜く」
  • easily [íːzili] : 「容易に、たやすく、苦もなく、あっけなく」
  • error [érər] : 「誤り、間違い、ミス、誤字、誤用、過失」
  • form [fɔ́ːrm] : 「形、外形、構造、現れ、形、姿」
  • conceal [kənsíːl] : 「隠す、隠匿する、秘密にする」
  • emptiness [émptinis] : 「空虚、むなしさ、無意味、からっぽ」
❖ "Yet reason sees ~ "「しかし、正気さは、その扉を簡単に見透かしてしまう」。まるで煙か霧かで出来た扉であるかのように、正気さは、その重い扉が、実は実体がないと見抜いてしまう。まさに、般若心経で言うところの『空』である。"because it is ~ "「なぜなら、それは誤りだからだ」。重い扉に実体があると思うことは誤りである。"The form it takes ~ "「扉の外形は、正気さの目をごまかして、からっぽであることを隠しおおせはしない」。



4. Only the form of error attracts the ego. Meaning it does not recognize, and does not see if it is there or not.
  • form [fɔ́ːrm] : 「形、外形、構造、姿、体つき、外見」
  • attract [ətrǽkt] : 「魅惑する、魅了する、引き込む、引き付ける」
  • meaning [míːniŋ] : 「意味、意義、意図、真意」
  • recognize [rékəgnàiz] : 「〜を認識する、〜を認証する、認める、受け入れる」
❖ "Only the form ~ "「過ちの形だけが、エゴを引きつける」。エゴにとって、過ちの内容はどうでもいい。過ちでありさえすれば、攻撃の対象となり得るからだ。攻撃の口実を作るのに、過ちの内容は要らないのだ。"Meaning it does not ~ "「過ちの意味をエゴが認識することはないし、」"and does not see ~ "「意味があるかないかさえ、エゴは知ろうとしない」。



Everything the body's eyes can see is a mistake, an error in perception, a distorted fragment of the whole without the meaning that the whole would give.
  • mistake [mistéik] : 「誤り、判断上の間違い、ミス、過ち、手違い」
  • perception [pərsépʃən] : 「知覚、認知、知見、見識、感じ方」
  • distort [distɔ́ːrt] : 「〜を曲げる、変形させる、〜をゆがめる、歪曲する」
  • distorted : 「ゆがめられた、ゆがんだ、曲げた、ひずんだ、曲解された」
  • fragment [frǽgmənt] : 「破片、断片、かけら、小部分」
  • whole [hóul] : 「全部の、完全な、全体の、丸ごとの」
  • without [wiðáut] : 「〜なしで、〜を持たないで、〜なしに」
❖ "Everything the body's ~ "「肉体が見ることの出来るものはすべて、誤りである」。"an error in ~ "「知覚における誤りだ」。肉体の感覚器官である目に見えるものは、この世界の現象であり、それはすべて幻想である。幻想を実体であるかのように感知するので、肉体の目が見ることの出来るすべては、誤りなのだ。"a distorted fragment ~ "意訳する、「肉体の目が見ることの出来るものは、ものの全体が与えることの出来る意味というものを持たないところの、歪められた断片である」。まさに、不可知論である。肉体の目は、物体からの光の反射を観測して、その形状や色を感知するのだが、そういった断片をいくら重ねても、物体全体のもつ実存的意味は知ることが出来ない。たとえば、あなたは花を見て、白色をしていて、花弁の数は5つ、大きさは2センチから3センチ、などと、断片的な情報を知ることは出来るが、その花全体を知ったことにはならない。肉体的感覚器官によって、その花全体をまるごと、つまり、花の実存そのものを、知ることは不可能なのだ。



And yet mistakes, regardless of their form, can be corrected. Sin is but error in a special form the ego venerates. It would preserve all errors and make them sins.
  • regardless [riɡάːrdlis] : 「〜にかかわらず、〜に関係なく、〜にお構いなく」
  • regardless of : 「〜にかかわらず」
  • special [spéʃəl] : 「特別な、独特の、特別の、特有の」
  • venerate [vénərèit] : 「尊敬する、あがめる」
  • preserve [prizə́ːrv] : 「〜を保つ、保存する、貯蔵する、保護する」
❖ "And yet mistakes ~ "「しかし、過ちは、それがどんな形をとろうとも、修正され得るのだ」。過ちは永遠に存在することは出来ない。もし、過ちが永遠であるなら、それは実相世界の実在となり、真実となってしまうではないか。過ちが真実であるとは、大きな矛盾だ。したがって、過ちは永遠ではなく、変化し得る。つまり、修正可能だのだ。"Sin is but error ~ "「罪の意識は、エゴが崇めるところの、特殊な形の誤りに過ぎない」。罪の意識は幻想であり、修正可能であり、したがって、単なる知覚上の誤りに過ぎない。何もないところに罪を見ているのだから。しかし、この罪を、エゴはこよなく愛している。罪あることを信じさせることで、あなたを幻想のアリ地獄に留めおくことが出来るからだ。"It would preserve ~ "「エゴは、あらゆる誤りを知覚して、それを罪に変えようとするのだ」。あなたの為すこと何もかも、罪の意識がその起源であるかのように非難して、エゴは、あなたの罪をかき立てるのだ。あなたを罪に縛りつけ、幻想の魔術を掛け続ける。



For here is its own stability, its heavy anchor in the shifting world it made; the rock on which its church is built, and where its worshippers are bound to bodies, believing the body's freedom is their own.
  • stability [stəbíləti] : 「安定、持続、不変、安定性、安定度、持続性」
  • heavy [hévi] : 「重い、激しい、重みのある」
  • anchor [ǽŋkər] : 「いかり、アンカー」
  • shifting [ʃíftiŋ] : 「移動する、変わりやすい」
  • rock [rɑ́k] : 「岩、岩石、岩盤」
  • church [tʃə́ːrtʃ] : 「教会」
  • built [bílt] : 「build の過去形」
  • worshipper [wə́ːrʃipər] : 「礼拝者、崇拝者」
  • bound [báund] : 「bind の過去、過去分詞形」
  • bind [báind] : 「〜を縛る、結び付ける、〜を束縛する、拘束する」
  • freedom [fríːdəm] : 「自由、解放、自主、独立」
❖ "For here is its ~ "「なぜなら、ここにエゴ自身の安定性があるからだ」。罪をほじくり出して非難し、あなたを幻想の中に閉じこめることで、エゴは安泰である。なぜなら、もしあなたが、罪が幻想であることに気付いてしまえば、エゴの幻想性も暴(あばか)れ、エゴは消滅してしまうからだ。"its heavy anchor in ~ "「それは、エゴの作り出した移ろう世界に下ろした重い錨である」。"the rock on which ~ "「エゴの教会が建てられた岩である」。"and where its worshippers ~ "「そこでは、エゴの崇拝者達が肉体に縛られ、」"believing the body's ~ "「肉体的な自由こそが、彼ら自身の自由なのだと信じている」。この文章の中で、一番興味を引く部分は、"the rock on which its church is built"「エゴの教会が建てられた岩である」という箇所であろう。マタイによる福音書16:18に、これに関連した記述がある。まず、それを読んでもらおう。

[Matthew 16:18 ~ 16:20 form King James Version]
And I say also unto thee, That thou art Peter, and upon this rock I will build my church; and the gates of hell shall not prevail against it. And I will give unto thee the keys of the kingdom of heaven: and whatsoever thou shalt bind on earth shall be bound in heaven: and whatsoever thou shalt loose on earth shall be loosed in heaven. Then charged he his disciples that they should tell no man that he was Jesus the Christ.

「わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。(新共同訳)

ペトロは岩という意味をもち、イエスが自分の後継をペテロに託し、揺るぎない教会を作れと命じた、と解釈される部分である。これを大きな支えとして、正統派キリスト教は勢力を増して行くのだが、ACIMの記述を見ると、ニュアンスが大きく異なることがわかる。イエスは予見能力、あるいは予言能力に長けていたので、正統派キリスト教が勢力を増し、やがてカトリック教会に繋がって行くことを予見していたのかもしれない。しかし、ACIMの記述を見る限り、イエスはそれを歓迎してはいない。1945年、ナグ・ハマディで発見された数多くの異端文書、驚くほど生き生きと書かれた多数の知られざるグノーシスの文書を見れば、イエスが思想を託した相手はペテロではないことがわかる。イエスが秘密の思想を託したのはペテロではなくトマスであり、ペテロは嫉妬を抱くことになる。ペテロは派閥を作って、岩の上に教会を作るべく、イエスの後継に収まるのだが、やがて、神の冒涜罪で石打の刑によって殺害される。トマスはインドまで足を伸ばして布教に努めるが、インドで首を刎(は)ねられて死ぬ。グノーシスを読めば、イエスの思想を忠実に伝えようとした人物は、イエスの妻であるマグダラのマリアであったらしいことがわかる。原始キリスト教では男女の間にまったく差別はない。また、イエスが妻帯者であったことは、研究者の常識になりつつある。そのマグダラのマリアも、ローマによる迫害の難を逃れてヨーロッパに渡り、やがてエルサレムに戻ると、そこで死んだとされる。何を言いたいのかというと、史実を追って考えてみると、イエスは生前、自分の教えを広げるための教会を建てるつもりなどは、まったくなかった、ということである。では、マタイの記述は何か? マタイの福音書を書いた人物は使徒のマタイではないことは多くの研究者が認めることであり、マタイの福音書がイエスの死後数十年を経て書かれていることを考えれば、岩の上に教会を建てよというイエスの言葉は、マタイの福音書を書いた人物の想像による創作であろう。そもそも、新約聖書の福音書はどれをとっても、イエスの物語であり、作者の想像による創作なのだ。史実を忠実に書き連ねたものではない。いわば、テレビの大河ドラマと同じレベルなのだ。物語ではなく、イエスの言行録として意味のある福音書は、先のトマスの福音書と、Q資料と呼ばれる幻の福音書ぐらいであろうか。Q資料はステファンが書き記したものである可能性があるとされるが定かではない。いずれにせよ、ACIMを読み進めて行くと、既成のキリスト教の教義とは相いれない記述に出くわすことになる。それを恐れて目をそらす人達、特にキリスト教徒も多かろうと思うが、ここはしっかり踏ん張って、ACIMは自分の思想変革を手伝ってくれているのだと思って、頑張ってほしい。
 
 
 

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