3. Reason is not salvation in itself, but it makes way for peace and brings you to a state of mind in which salvation can be given you.
- reason [ríːzn] : 「理性、理知、良識、分別、正」
- salvation[sælvéiʃən] : 「救出、救済、救い、救世」
- in itself : 「それ自体では、本質的に」
- make way for : 「〜に道を譲る」
- peace [píːs] : 「平和、安らぎ、平穏、安心、安定」
- bring [bríŋ] : 「〜を連れて行く、〜を持って来る、〜をもたらす」
- state [stéit] : 「状態、形勢、情勢、状況」
- given [gívn] : 「give の過去分詞形」
Sin is a block, set like a heavy gate, locked and without a key, across the road to peace.
- sin [sín] : 「罪、罪悪、ばかげたこと、過失、罪業」
- block [blάk] : 「障害物、妨害物」
- set [sét] : 「整える、定める、配置する、設定する」
- heavy [hévi] : 「重い、激しい、重みのある」
- gate [géit] : 「入り口、門扉、ゲート、門」
- lock [lɑ́k] : 「〜に錠を掛ける、〜を閉じ込める」
- without [wiðáut] : 「〜なしで、〜を持たないで、〜なしに」
- key [kíː] : 「鍵、キー」
- across [əkrɑ́s] : 「〜を横切って、〜を横断して、交差して」
- road [róud] : 「道、主要道路、道路、車道」
No one who looks on it without the help of reason would try to pass it.
- look on : 「〜を見る」
- help [hélp] : 「助力、助け、援助、支援、力添え」
- try [trái] : 「試す、やってみる、試みる、企てる」
- pass [pǽs] : 「〜を通る、通り越す、追い越す」
The body's eyes behold it as solid granite, so thick it would be madness to attempt to pass it.
- behold [bihóuld] : 「見守る、注視する」
- solid [sɑ́ləd] : 「硬い、頑丈な、固体の、固形の」
- granite [grǽnit] : 「花こう岩、御影石、堅固なもの」
- thick [θík] : 「厚い、分厚い、太い」
- madness [mǽdnəs] : 「狂気、熱狂、熱中」
- attempt [ətémpt] : 「試みる、企てる」
Yet reason sees through it easily, because it is an error. The form it takes cannot conceal its emptiness from reason's eyes.
- see through : 「理解する、明察する、〜を見通す、〜を透かして見る、本質を見抜く」
- easily [íːzili] : 「容易に、たやすく、苦もなく、あっけなく」
- error [érər] : 「誤り、間違い、ミス、誤字、誤用、過失」
- form [fɔ́ːrm] : 「形、外形、構造、現れ、形、姿」
- conceal [kənsíːl] : 「隠す、隠匿する、秘密にする」
- emptiness [émptinis] : 「空虚、むなしさ、無意味、からっぽ」
4. Only the form of error attracts the ego. Meaning it does not recognize, and does not see if it is there or not.
- form [fɔ́ːrm] : 「形、外形、構造、姿、体つき、外見」
- attract [ətrǽkt] : 「魅惑する、魅了する、引き込む、引き付ける」
- meaning [míːniŋ] : 「意味、意義、意図、真意」
- recognize [rékəgnàiz] : 「〜を認識する、〜を認証する、認める、受け入れる」
Everything the body's eyes can see is a mistake, an error in perception, a distorted fragment of the whole without the meaning that the whole would give.
- mistake [mistéik] : 「誤り、判断上の間違い、ミス、過ち、手違い」
- perception [pərsépʃən] : 「知覚、認知、知見、見識、感じ方」
- distort [distɔ́ːrt] : 「〜を曲げる、変形させる、〜をゆがめる、歪曲する」
- distorted : 「ゆがめられた、ゆがんだ、曲げた、ひずんだ、曲解された」
- fragment [frǽgmənt] : 「破片、断片、かけら、小部分」
- whole [hóul] : 「全部の、完全な、全体の、丸ごとの」
- without [wiðáut] : 「〜なしで、〜を持たないで、〜なしに」
And yet mistakes, regardless of their form, can be corrected. Sin is but error in a special form the ego venerates. It would preserve all errors and make them sins.
- regardless [riɡάːrdlis] : 「〜にかかわらず、〜に関係なく、〜にお構いなく」
- regardless of : 「〜にかかわらず」
- special [spéʃəl] : 「特別な、独特の、特別の、特有の」
- venerate [vénərèit] : 「尊敬する、あがめる」
- preserve [prizə́ːrv] : 「〜を保つ、保存する、貯蔵する、保護する」
For here is its own stability, its heavy anchor in the shifting world it made; the rock on which its church is built, and where its worshippers are bound to bodies, believing the body's freedom is their own.
- stability [stəbíləti] : 「安定、持続、不変、安定性、安定度、持続性」
- heavy [hévi] : 「重い、激しい、重みのある」
- anchor [ǽŋkər] : 「いかり、アンカー」
- shifting [ʃíftiŋ] : 「移動する、変わりやすい」
- rock [rɑ́k] : 「岩、岩石、岩盤」
- church [tʃə́ːrtʃ] : 「教会」
- built [bílt] : 「build の過去形」
- worshipper [wə́ːrʃipər] : 「礼拝者、崇拝者」
- bound [báund] : 「bind の過去、過去分詞形」
- bind [báind] : 「〜を縛る、結び付ける、〜を束縛する、拘束する」
- freedom [fríːdəm] : 「自由、解放、自主、独立」
[Matthew 16:18 ~ 16:20 form King James Version]
And I say also unto thee, That thou art Peter, and upon this rock I will build my church; and the gates of hell shall not prevail against it. And I will give unto thee the keys of the kingdom of heaven: and whatsoever thou shalt bind on earth shall be bound in heaven: and whatsoever thou shalt loose on earth shall be loosed in heaven. Then charged he his disciples that they should tell no man that he was Jesus the Christ.
「わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。(新共同訳)
ペトロは岩という意味をもち、イエスが自分の後継をペテロに託し、揺るぎない教会を作れと命じた、と解釈される部分である。これを大きな支えとして、正統派キリスト教は勢力を増して行くのだが、ACIMの記述を見ると、ニュアンスが大きく異なることがわかる。イエスは予見能力、あるいは予言能力に長けていたので、正統派キリスト教が勢力を増し、やがてカトリック教会に繋がって行くことを予見していたのかもしれない。しかし、ACIMの記述を見る限り、イエスはそれを歓迎してはいない。1945年、ナグ・ハマディで発見された数多くの異端文書、驚くほど生き生きと書かれた多数の知られざるグノーシスの文書を見れば、イエスが思想を託した相手はペテロではないことがわかる。イエスが秘密の思想を託したのはペテロではなくトマスであり、ペテロは嫉妬を抱くことになる。ペテロは派閥を作って、岩の上に教会を作るべく、イエスの後継に収まるのだが、やがて、神の冒涜罪で石打の刑によって殺害される。トマスはインドまで足を伸ばして布教に努めるが、インドで首を刎(は)ねられて死ぬ。グノーシスを読めば、イエスの思想を忠実に伝えようとした人物は、イエスの妻であるマグダラのマリアであったらしいことがわかる。原始キリスト教では男女の間にまったく差別はない。また、イエスが妻帯者であったことは、研究者の常識になりつつある。そのマグダラのマリアも、ローマによる迫害の難を逃れてヨーロッパに渡り、やがてエルサレムに戻ると、そこで死んだとされる。何を言いたいのかというと、史実を追って考えてみると、イエスは生前、自分の教えを広げるための教会を建てるつもりなどは、まったくなかった、ということである。では、マタイの記述は何か? マタイの福音書を書いた人物は使徒のマタイではないことは多くの研究者が認めることであり、マタイの福音書がイエスの死後数十年を経て書かれていることを考えれば、岩の上に教会を建てよというイエスの言葉は、マタイの福音書を書いた人物の想像による創作であろう。そもそも、新約聖書の福音書はどれをとっても、イエスの物語であり、作者の想像による創作なのだ。史実を忠実に書き連ねたものではない。いわば、テレビの大河ドラマと同じレベルなのだ。物語ではなく、イエスの言行録として意味のある福音書は、先のトマスの福音書と、Q資料と呼ばれる幻の福音書ぐらいであろうか。Q資料はステファンが書き記したものである可能性があるとされるが定かではない。いずれにせよ、ACIMを読み進めて行くと、既成のキリスト教の教義とは相いれない記述に出くわすことになる。それを恐れて目をそらす人達、特にキリスト教徒も多かろうと思うが、ここはしっかり踏ん張って、ACIMは自分の思想変革を手伝ってくれているのだと思って、頑張ってほしい。