A Course in Miracles
Text - Chapter 25
The Justice of God
神の正義
Introduction
1. The Christ in you inhabits not a body. Yet He is in you. And thus it must be that you are not within a body. - inhabit [inhǽbət] : 「〜に住む、存在する、居住する」
- thus [ðʌ́s] : 「それ故に、従って、このようにして、こんなふうに」
- within [wiðín] : 「〜の中に、〜の内側に」
❖ "The Christ in you ~ "「あなたの中のキリストは、肉体に宿っているのではない」。"Yet He is ~ "「あなたの心の中にいるのだ」。"And thus it must be ~ "「ということは、あなたは肉体に閉じこめられているのではないことは確実だ」。神は、神の子が神から分離した後、神の子の心の中にホーリー・スピリットを住まわせた。神の子を助け、導くためにホーリー・スピリットに使命を与えたわけだが、その救いという使命に焦点を当てたとき、ホーリー・スピリットはキリストになる。つまり、ホーリー・スピリットのもつ救いという使命を象徴する人格をキリストと称していると思えばいい。
What is within you cannot be outside. And it is certain that you cannot be apart from what is at the very center of your life. - outside [áutsáid] : 「外側の、屋外の、外部の、局外の」
- certain [sə́ːrtn] : 「確信している、確実な、確かな、確信して」
- apart from : 「〜から離れて、〜は別として、〜はさておき」
- at the center [séntər] of : 「〜の中央に、〜の中心に、〜の真っただ中に」
- life [láif] : 「命、人命、生命、寿命、人生、この世、生涯」
❖ "What is within you ~ "「あなたの内にあるものが、外側に存在することはあり得ないのだ」。実相的に実在する心の中に宿るものが、その外の幻想的非実在の肉体に存在するわけがないのだ。"And it is certain that ~ "「そして、that以下は確実である」。"that you cannot be ~ "「あなたは、あなたの命の中心にあるものと、離れて存在することは出来ないのだ」ということは確実である。あなたの命は心にあるのであって、心を離れて、肉体の中に命として生きることは不可能である。
What gives you life cannot be housed in death. No more can you. - house [háuz] : 「〜を収容する、〜に住居を与える」
- death [déθ] : 「死、消滅、死亡、破滅、終わり、終焉」
- no more : 「それ以上〜ない、もはや〜しない。ましてや〜ない」
❖ "What gives you life ~ "「あなたに命を与えるものが、死の中に住まわせることは不可能だ」。あなたに命を与えてくれる実相的存在は、死を象徴する肉体の中に宿ることは不可能である。ここでは、具体的にホーリー・スピリット、あるいはキリストと考えていい。"No more can ~ "「ましてや、あなたは、死の中に住まうことは出来ない」。ホーリー・スピリットと同様に、あなたも死を象徴する肉体の中に存在することは不可能だ。死を象徴する肉体は幻想であり、夢である。幻想や夢の中に、実相的な実在が入り込んで、そこで生きることなど、原理的に出来ないのである。
Christ is within a frame of Holiness whose only purpose is that He may be made manifest to those who know Him not, that He may call to them to come to Him and see Him where they thought their bodies were. - frame [fréim] : 「枠、縁、額縁、骨組み、支持構造体」
- holiness [hóulinəs] : 「神聖、高潔」
- purpose [pə́ːrpəs] : 「目的、意図、狙い、意向、趣旨、意味」
- manifest [mǽnəfèst] : 「明白な、明らかな、明らかにする」
- call to : 「〜に声をかける」
- thought [θɔ́ːt] : 「think の過去・過去分詞形」
❖ "Christ is within ~ "「キリストは、神聖さの枠組みの中に存在する」。キリストは、神聖な実相的存在だ、ということ。したがって、キリストの宿るあなたの心も、神聖さの枠組みの中にあり、神聖な実相的存在なのである。"whose only purpose ~ "「そのキリストの唯一の目的はthat以下である」。"that He may be ~ "「キリストの存在に気付いていない人達に対して、キリストを明示すること」。心の中にキリストが宿っていることに気付いていない人達に、その存在を明示し、彼らが幻想世界から救われ得るのだと教えることが、キリストの目的である。"that He may call ~ "ここの"that"は"so that"と捉えて、「そうすれば、キリストは、その人達が、キリストの元にやってきて、肉体があると思っていたところにキリストを目撃するようにと、彼らに呼びかけることが出来るのである」。つまり、心の中のキリストの存在に気付くことが出来れば、彼らの救いは確実となるのだ。なぜなら、キリストを宿した自分が、実相的な存在の神の子であると認識するからだ。住むべき場所はこの幻想世界ではなく、ましてや肉体の中でもなく、実相世界、天の王国こそが、自分達の故郷であると気付くからである。
Then will their bodies melt away, that they may frame His Holiness in them.- melt [mélt] : 「溶ける、融解する」
- melt away : 「溶けてしまう、融解する、徐々に消えうせる」
- frame [fréim] : 「〜の骨組みを作る、〜を組み立てる、構成する」
❖ "Then will their bodies ~ "「そうなれば、彼らの肉体は溶けて消えてしまうだろう」。幻想の肉体は、実相の光に当たって、つまり、キリストという光を受けて、消滅するのだ。"that they may ~ "ここの"that"は"so that"、「その結果、彼らは彼らの中に、キリストの神聖さを枠組みとして作ることが出来るのである」。つまり、幻想の肉体から開放されて、キリストと同様の神聖な実相的存在を再構築することが出来る、ということ。肉体を離れて、神の子であることに回帰することが出来るということだ。
2. No one who carries Christ in him can fail to recognize Him everywhere. Except in bodies. - carry [kǽri] : 「〜を携行する、〜を持っている、〜を運ぶ」
- fail [féil] : 「失敗する、しくじる」
- fail to : 「〜しない、〜しそこなう、〜できない」
- recognize [rékəgnàiz] : 「〜を認識する、〜を認証する、認める、受け入れる」
- everywhere [évrihwèər] : 「どこでも、どこにも、いずれの場所においても」
- except [iksépt] : 「〜を除いて、〜以外に」
❖ "No one who carries ~ "「心の中にキリストを携えている者は誰でも、キリストをどこでも認識し損なうことはことは不可能だ」。"Except in ~ "「(どこでもと言ったが、)肉体の中だけは例外だ」。心の中にキリストを認識できる者は、彼の心の中にも、彼女の心の中にも、キリストを認識できるのだ。ホーリー・スピリットはすべての神の子の心に宿っているから当然である。もちろん、心に住んでいるのであって、肉体に宿っているのではない。
And as long as he believes he is in a body, where he thinks he is He cannot be. - as long as [iksépt] : 「〜さえすれば、〜する限り」
- believe [bilíːv] : 「信じる、真に受ける、確信する、信頼する」
❖ "And as long as ~ "「自分が肉体の中にいると信じている限り、」"where he thinks ~ "「彼がいると思っている場所(肉体)には、キリストは存在し得ない」。自分が肉体だと信じている限り、その肉体にキリストが宿ることはないから、彼は、キリストを自分の中に認識することは出来ないのだ。
And so he carries Him unknowingly, and does not make Him manifest. - unknowingly : 「知らないで、知らず知らず、無意識のうちに」
- manifest [mǽnəfèst] : 「明白な、明らかな、明らかにする」
❖ "And so he carries ~ "「そこで、肉体を自分だと思っている者は、そうとは知らずにキリストを携えていることになる」。"and does not make ~ "「しかも、キリストを顕現させることもないのである」。幻想の肉体を実在だと信じる者は、心の実在性を知らないので、そこに宿るキリストの存在も知らない。もちろん、そのキリストに救いを求めることもないから、キリストも姿の現しようがないのだ。
And thus he does not recognize Him where He is. The son of man is not the risen Christ. - risen [rízn] : 「rise の過去分詞、復活した、昇天した」
❖ "And thus he does not ~ "「こうして、彼は、キリストがいる場所にキリストを認識することはない」。心が実在だと信じられないから、キリストのいる心にキリストを実感することが出来ないのだ。"The son of man ~ "「人の子は、復活したキリストではない」。短い文章ではあるが、内容は非常に重要である。"the son of man"「人の子」とは、神の子が偽創造した肉体のことである。したがって、この文章の意味は、キリストは肉体をもって復活するものではない、ということになる。キリストはあなたの心に常駐しているのであって、あなたがそのキリストを認識することが、キリストの復活なのだ。もちろん、実相的想念は具現化することが可能であるから、復活したキリストが、目に見える形で顕現する可能性はある。しかし、その場合であっても、キリストが肉を得てこの世に出現したのだ、と見るべきではない。幻想から抜け出し切れないあなたのために、幻想の仮の姿をもって顕現したに過ぎない、と捉えるべきなのだ。したがって、もし、あなたの目の前にキリストが顕現したとしても、そのキリストは幻のようにあなたの目の前から消えることになるだろう。だから、あなたが肉体の目をもってキリストを見たとしても、それは幻想であって、キリストを本当の姿として、つまり、実相的実在として見るには、心の目、つまり、ヴィジョンを通して見る意外にないのである。なぜ、くどくどと述べたのかというと、この問題が、2000年前の正統派キリスト教とグノーシス派の対立点であったからだ。正統派キリスト教(現在のカトリックにつながる)は、キリストが肉をもって復活したのだと主張するのに対して、グノーシスは、霊的存在として、キリストの復活を解釈したのである。これをもって、グノーシスは弾圧され、異端の烙印を押され、歴史上から姿を消すこととなる。したがって、ACIMは、その意味でも、グノーシスの復権を後押しするものだと言えるのである。グノーシスのすべてを肯定するわけではないが、カトリックが否定した多くの部分に、真実が含まれている、ということである。その意味でも、あなたがキリスト教に関心があるなら、もっと積極的にグノーシスを学ぶべきだろう。ACIMとの共通点が、そこかしこに散らばっていることを発見するだろう。
Yet does the Son of God abide exactly where he is, and walks with him within his holiness, as plain to see as is his specialness set forth within his body.- abide [əbáid] : 「居住する、とどまる」
- exactly [iɡzǽktli] : 「正確に、厳密に、ぴったり、きっちり」
- walk [wɔ́ːk] : 「歩く、歩行する」
- within [wiðín] : 「〜の中で、〜の内側に」
- holiness [hóulinəs] : 「神聖、高潔」
- plain [pléin] : 「平易な、明らかな、単純な、シンプルな」
- specialness [spéʃəlnis] : 「特別であること、特別性」
- set forth : 「説明する」
❖ "Yet does the Son of God ~ "「しかし、神の子は、まさに人の子のいる場所に、住んでいるのである」。あなたが偽創造した人の子である肉体を、あなたは自分自身だと思っているのだが、まさにその肉体を幻想した心の中に、真実のあなた自身、神の子としての自分が住んでいるのだ。"and walks with him ~ "「そして、神の子の神聖さの中で、神の子は人の子とともに歩む」。神の子は、この幻想世界に肉体を帯びて存在してるのだが、神の子の神聖さは変わりない。いわば、実相的な実在の神の子が、肉体という夢を持ち歩きながら生きているのだ。まだまだ、幻想に捕らわれて生きているのである。捕らわれてはいるが、神の子としての実相的な神聖さは変わらない。"as plain to see as ~ "「人の子の特別性が肉体の中に示されていることが、見てわかる通り、明々白々であるように、(神の子が、神聖さの中を、人の子と共に歩んでいることも明々白々である)」。簡単に言えば、特別性が肉体に宿るように、神聖さは神の子に宿るのである。肉体は特別性を属性として持ち、神の子は神聖さを属性としてもつ、と言ってもいい。片(かた)や、幻想的視点に立ったときに見えてくる光景であり、片や、実相的視点に立ったときに見えてくる光景である。肉体的な目で見たときの光景と、ヴィジョンを通して見たときの違いである。