13. Grace is not given to a body, but to a mind.
- grace [gréis] : 「恩恵、恩寵、神の愛、優雅、優美」
- given [gívn] : 「give の過去分詞形」
❖ "Grace is not ~ "「神の恩寵は、肉体に与えられているのではなく、心に与えられている」。"grace"「神の恩寵」は、神の愛、神のパワー、神の属性そのもの、と考えていいだろう。それは、幻想の肉体に対して与えられているのではなく、実相の、実在の心に対して与えられている。心が、神によって創造されたことを考えると、当たり前のことだ。神の子に、神はその属性のすべてを継承した。神の恩寵のすべてを神の子に与えたのだ。よって、あなたの心は神の恩寵のすべてを継承しているのである。問題は、それに気付くかどうかである。それに気付いたとき、それが、神の恩寵の与えらる時だと思っていい。もちろん、時間の存在しない実相世界から見れば、それはすでに与えられているのだが。
And the mind that receives it looks instantly beyond the body, and sees the holy place where it was healed. - receive [risíːv] : 「〜を受ける、受け取る、受領する、入手する」
- instantly [ínst(ə)ntli] : 「すぐに、すぐさま、一瞬にして、即座に」
- beyond [bi(j)ɑ́nd] : 「〜を越えて、〜の域を越えて、〜を超越して」
- holy [hóuli] : 「神聖な」
- place [pléis] : 「場所、個所」
- heal [híːl] : 「治す、治癒する、治療する、癒やす、救う」
❖ "And the mind that ~ "「神の恩寵(神の愛)を受け取った心は、直ちに、肉体を越えてその中を見通し、」 "and sees the holy ~ "「心がヒーリングされた、神聖な箇所を見ることになる」。神の愛を受け取った心は、つまり、神の属性に目覚めた心は、幻想の肉体によって妨害されることなく、実在の心そのものを目撃することになる。それは、神の愛によってヒーリングされた心であり、その心の最も神聖で最も純粋な部分、つまり神の祭壇が存在する箇所を見つけ出すのである。
There is the altar where the grace was given, in which it stands. - altar [ɔ́ːltə(r)] : 「祭壇、聖餐台」
❖ "There is the altar ~ "「そこに、神の恩寵が与えられた祭壇があり、」"in which ~ "「神の恩寵はそこに立ち止まっている」。神の恩寵を擬人化して述べられているが、要するに、神の恩寵がその祭壇に祭られている、そこにある、ということ。心の最も純粋で神聖な部分に神の祭壇があり、そこに神の愛が込められている、と考えていいだろう。その祭壇は、この幻想世界が、神の世界である実相世界と接する接点である。神の愛も神の声も、神の意思も神の思いも、この祭壇を通じてあなたに与えられる。あなたにとって、最も重要な、そして唯一の、実相世界とのチャンネルである。
Do you, then, offer grace and blessing to your brother, for you stand at the same altar where grace was laid for both of you. - offer [ɔ́(ː)fə(r)] : 「差し出す、捧げる、提供する」
- grace [gréis] : 「恩恵、恩寵、神の愛、優雅、優美」
- blessing [blésiŋ] : 「祝福、恩恵、幸運、祈り」
- stand at : 「〜に立つ」
- same [séim] : 「同じ、同一の、変わらない」
- laid [léid] : 「lay の過去・過去分詞形」
- lay [léi] : 「〜を横たえる、〜を置く」
- both [bóuθ] : 「両方、双方」
❖ "Do you, then, offer grace ~ "「そこで、神の恩寵と祝福を、あなたの同胞へ差し出しなさい」。あなたが受け取った神の恩寵と祝福を、同胞と分かち合うために、同胞に分け与えなさい。"for you stand at the same ~ "「なぜなら、神の恩寵があなたと同胞の両者のために置かれた同じ祭壇に、あなたは立っているのだから」。あなたは、自分の心の中の聖なる部分に存在する神の祭壇に気付いた。つまり、その祭壇の前に立ったのである。その祭壇には神の恩寵、神の祝福が置かれており(神の愛が存在しており)、それが、自分一人のためのものではなく、神の子全体に差し出されたものであることを(直感で)知るのである。なぜなら、神は完全完璧な平等性を有し、あなた一人だけを祝福するわけがないからだ。あなたを祝福しているなら、それは神の子全体の祝福であるはずだからだ。そもそも、神にとって神の子とは単一の存在、単一の心である。神の子が自分と多数の同胞とに分離して捉えているのは、神の子の勝手な幻想に過ぎない。神のとって神の子は、あなたを含めて、ただ一人なのだ。
And be you healed by grace together, that you may heal through faith.- together [təgéðə(r)] : 「一緒に、同時に」
- through [θruː] : 「〜を通じて、〜の手を経て、手を通して」
- faith [féiθ] : 「信頼、信用、信じること、信仰、信条、自信、信念、確信」
❖ "And be you healed ~ "「そして、同胞共々、神の恩寵(祝福、愛)によって、ヒーリングされなさい」。"that you may heal ~ "ここの"that"は"so that"のこと、「その結果、あなたは、信じる気持ちを通して、癒えるだろう」。"heal"を自動詞として「癒える」と訳してはみたが、他動詞として見て、「信じる気持ちを通して、癒すことが出来るだろう」と訳してもいい。そもそも、癒すことも癒えることも実相世界では同じことなのだ。実相世界では、与えることと得ることは等しいからだ。ところで、心が癒される、心が癒えるとは、幻想によって歪み狂っていた心が、正しい心に修正される、ということである。簡単に言えば、心が幻想から目覚めて、実相世界に回帰する、ということである。この目覚めこそ、聖なる瞬間である。
14. In the holy instant, you stand before the altar God has raised unto himself and both of you. - instant [ínstənt] : 「瞬間、一瞬」
- raise [réiz] : 「起こす、立てる、もたらす」
❖ "In the holy instant ~ "「聖なる瞬間において、神が、神自身とあなたの両者のために築いた祭壇の前に、あなたは立っているのだ」。実相世界に目覚める聖なる瞬間は、幻想世界と実相世界の接点である神の祭壇の前に、あなたは立っていることになる。蛇足になるが、一言。神の祭壇が心の中にあると言っているのは、比喩としての表現であって、具象的な祭壇がドーンとあるのではない。実相世界は想念、抽象の世界であるから、神の祭壇は、具象的な形、具体的な形象をもってはいない。逆に考えれば、具象世界の我々は、個人個人で、自由に神の祭壇をイメージしていいのだ。だから、キリスト教徒はキリスト教の寺院の祭壇を想像すればいいし、仏教徒は仏教の寺院の祭壇を想像すればいい。どちらが正しいとか、どちらが間違っているとかいうことはないのだ。だから、なんなら、きれいな花園こそが神の祭壇であると思ってもいいのである。光の湧き出す泉を、神の祭壇だと想像してもいい。それは、完全に、あなたの自由である。しかし、自由であるから怖いとも言える。自分の思い込みを他者に押し付けるという性癖を人は有しているからだ。とは言え、このACIMを愛するあたなは、そのような愚を犯すことは、まずありますまい。
Lay faithlessness aside, and come to it together. - lay aside : 「やめる、捨てる、放棄する、棚上げにする」
- faithlessness [féiθlis]nis] : 「不実さ、不誠実さ、信仰心のなさ」
❖ "Lay faithlessness ~ "「さあ、信じる気持ちの欠如など捨て去って、同胞共々、神の祭壇の前に来なさい」。聖なる瞬間に立ち合うのである。
There will you see the miracle of your relationship as it was made again through faith. - relationship [riléi∫n∫ìp] : 「関係、結び付き、かかわり合い、関連」
- again [əgén] : 「再び、かさねて」
❖ "There will you see ~ "「神の祭壇の前で、あなたは、あなたと同胞の関係性が、信じる気持ちを通して作り変えられるにしたがい、その関係性(が質転換するという)奇跡を目撃することになろう」。幻想世界で、あなたが同胞のパートナーと築いた特別な関係性は、実相世界の神聖な光に当たって質転換し、神聖な関係性に変身する。真実を信じる気持ちがその奇跡を生み出したのだ。
And there it is that you will realize that there is nothing faith cannot forgive. - realize [ríːəlàiz] : 「〜に気が付く、悟る、自覚する、実感する」
- forgive [fə(r)gív] : 「許す、容赦する、勘弁する」
❖ "And there it is that ~ "強調構文、「そして、その祭壇にあって、あなたは、信じる気持ちが赦すことの出来ないものなど何もないと知ることになるのだ」。幻想と実相の違いを知った今、あなたはすべての幻想を、それは単なる夢に過ぎなかったとして、赦し去ることが出来るのである。これがACIMの赦しであり、贖罪である。
No error interferes with its calm sight, which brings the miracle with equal ease to all of them. - error [érə(r)] : 「誤り、間違い、ミス」
- interfere [ìntə(r)fíə(r] : 「邪魔をする、妨げる、遅らせる、干渉する」
- interfere with : 「〜を妨げる、〜を邪魔する、〜に干渉する」
- calm [kɑ́ːm] : 「穏やかな、静かな、無風の、冷静な、穏和な」
- sight [sáit] : 「視界、景色、光景」
- bring [bríŋ] : 「〜を持って来る、〜を連れて来る」
- equal [íːkw(ə)l] : 「同等の、程度が等しい、均等な、平等な」
- ease [íːz] : 「容易さ、たやすさ、気楽さ、安心」
❖ "No error interferes ~ "「いかなる誤りも、その穏やかな光景の邪魔をすることはない」。誤りは幻想だから、すべて赦されて、もはや誤りに悩み苦しんで心を騒がしくすることはないのだ。"which brings ~ "「そして、(聖なる瞬間に包まれた神の祭壇の)穏やかな光景は、神の子すべてに対して、同等な容易さをもって、奇跡を運んできてくれる」。へたな訳で申し訳ない。聖なる瞬間は、そこに立ち合ったあなたにも同胞にも、誰彼区別することなく平等に、易々と奇跡を与えてくれる。幻想世界しか見えなかった目が開き、真実の世界が見えてくるという奇跡、そして、幻想世界の騒々しい音しか聞こえなかった耳に実相の風が通って、神の声、ホーリー・スピリットの声が聞こえてくる奇跡。その奇跡は、立ち合ったすべての神の子に平等に起きる。しかも、難なく簡単に奇跡は起きるのだ。奇跡に、難しさの序列のないことを思い出そう。
For what the messengers of love are sent to do they do, returning the glad tidings that it was done to you who stand together before the altar from which they were sent forth.- messenger [més(ə)n(d)ʒə(r)] : 「メッセンジャー、使者」
- sent [sént] : 「send の過去・過去分詞形」
- send [sénd] : 「〜を使いにやる、送る、派遣する」
- return [ritə́ː(r)n] : 「〜を返す、戻す、返却する」
- glad [glǽd] : 「満足して、うれしく思う、喜びの」
- tiding [táidiŋ] : 「便り」
- send forth : 「送り出す、発行する、派遣する」
❖ "For what the messengers ~ "「なぜなら、愛のメッセンジャーがそれを成すようにと送り出された、そのことを(使命を)、愛のメッセンジャーは成すからだ」。愛のメッセンジャーとは、ホーリー・スピリットのことと考えていいだろう。真実の愛を、愛をもって、伝えてくれる使者である。神の子が実相世界に目覚めるようにと、ホーリー・スピリットは、神からの使命を受けて神の子の元に遣わされた。その使命が今、聖なる瞬間に実現するのである。"returning the glad tidings ~ "分詞構文、単純接続、「そして、愛のメッセンジャーは、〜という嬉しい便りを(神へ)返信するのである」。"that it was done ~ "「ホーリー・スピリットが送り出されてきた祭壇の前で、同胞と一緒に立ったあなたに対して、その使命は果たされた」という嬉しい便りを、ホーリー・スピリットは神に返信するのである。神の住む実相世界から、我々の住む幻想世界へと、二つの世界が接する神の祭壇をくぐり抜けて、ホーリー・スピリットはこの世界にやって来たわけだ。神の子である我々を幻想から実相へと目を覚めさせ、天の王国へ回帰させるという使命を神から与えられたのだ。その使命が、今、この聖なる瞬間に実現するのである。喜ばしいことではないか。